新連載 村上和彦の男の世界
第一回
今回(WaWaWa Vol.13)から村上先生に「男道」を語っていただきます。
読者の方の色々なご意見をお待ちしています。

村上和彦先生
本編は本来WaWaWa Vol.13で掲載する筈であった記事です。

編集長(以下編): 早速ですが先生が劇画家になった経緯などをお聞かせください。

村上和彦(以下村): はっきり言って、私は将来漫画家になろうと思った事は一度もなかったですね。ましてや漫画家になれるなどと思った事もありませんでした。高校を卒業して大阪に出て3年いたけど、進むべき道が見つからなくて東京に出てきたんです。正に人生試行錯誤の真っ只中、喰うがためパチプロも一年余りしましたね。働くにも方向性が定まらないから仕事をする気がしない訳ですよね。私は漠然とですが、男は30歳位までに進むべき道を見つければいいだろうと考えてましたから、のんびりしたものでしたよ。喰う分は女がいましたから何とかなりました。24歳の誕生日でしたね、母子家庭で育った自分が人並みの考えで生きていると絶対に人より遅れをとる、人より5年は早くスタートラインに立たなければ駄目だと考え直した訳です。一年後の誕生日に照準を合わせました。たまたま劇画ブームが昭和41年頃から起こり始めていまして劇画雑誌が次々と創刊されていました。「漫画でも描いてみるか」がきっかけでした。丁度その1年程前、大阪の高校を卒業した実弟・憲治が私を頼って上京、池袋西口の三業地の6畳一間のアパートに同居、一時は舎弟分6人位も同居してて、夏場は2畳程の物干し台でも何人か寝てましたよ。結構毎日楽しく面白く過ごしていましたが、所詮は先の見えないゴマカシの生活ですからね。このままでは駄目だ、何とかしないと皆んな潰れてしまう、やるからには人のやれない事をやろう、人から尊敬されるような仕事を。それが漫画家(劇画家)だったのです。 私は「さいとうたかを」の画風が好きで、ほとんどの作品を愛読していました。ある雑誌に読み切りの短編作品が載っていて、その作品の中に関西の主流である「ほん引き」賭博のシーンが描かれていたのですが、ほん引きの札一枚のアップさえ描かれてなかった訳です。「私なら描く事が出来る、生き残れる道は此処(ここ)だ」と閃いたのです。そうして生まれたのが「昭和極道史」でした。昭和45年3月デビューとなり、月1本のペースで読み切り連載執筆、半年後の6作目「昭和極道史/逆縁の盃」が東映映画化となり、僅か30頁の原稿が「現代ヤクザ/盃返します」菅原文太主演の1時間30分の映画となった訳です。誰もがびっくりしたでしょうが、私が一番びっくりしましたよ。

 人は夫れ夫れの特性とか運とか巡り合せとか、色々なものに左右されますよね。先生には大きな運が有るのと同時に作品の中にも正統派の男の生き方が描かれていると思うのですが。

 そうですね。これまでにも幾多の危機は有りましたからね。私は危機に向かう時、姑息な手段を使ったり、対抗策を陰で画策したり出来ない性質なんですね。ですから正面からまともに戦って来ました。私の悪運の強さと言えばそれ迄ですが、私の敵に回った相手は殆ど自滅してますね。元々、どちらが正義と言う話しではないですけど、生き残った方が正義ですよ。自分の人生にしても、自分の作品にしても、私にとってはイコールなんです。作品と作者の人格は別と言う考え方、見方もありますが、私は基本的に作者の人生のスタンスが作品に投影されると言う考えですね。ですから自分の生き方を守るしかないんですよ。喋る事によって自分に「縛り」をかける、それをムチとして格好をつける、それを守るために陰で苦労する訳です。その繰り返しですよ、私の人生は。簡単に言えば「ええカッコしい」なんです。泣き言は言わない、弱みを見せない、痩せ我慢ですよ人生は。泣き言を言って同情を得ても、自分の人生において露ほどのプラスになる事はないと言う事ですよ。阿部編集長とこうやって知り合って「今、私は大変なんですよ。こんなに困っているんですよ」と愚痴をこぼしたところで「そうですか、先生も大変なんですね」と同情はしてくれるでしょうが、私の価値は上がらないんですよ。そこなんですよ大事なところは。よく人から「先生、疲れないですか」と言われますよ。然し、それが村上和彦の人生みたいなところがあるんですね。逃れられないんですよ。

 我々男にするとたまらなくカッコいいですよ。それが出来るって人は。我々だってカッコ良く痩せ我慢したいと思っても、それを通し続けるのはなかなか出来ないですよ。それが車イスの人達って先生のようにカッコ良く生きたくても結果的には自分から同情を求めちゃう生き方になりがちなんです。先生の生き方って強烈なビンタ食らったような人生ですよね。

: 人からの価値・評価を高めるためには、ある種のカリスマ性をどこかに見せないと駄目だし、人の意表を突くくらいの配慮気遣いがなければ人はついて来ないですよ。「選ぶ立場に立つ」か「選ばれる立場に立つ」かの自覚も必要ですね。その立場を決めるのは決して自分自身ではないかも知れませんが、自分を縛り(プレッシャーをかける)、自らを律する中で培われ、構築される人格を人は評価する訳です。その人格は途中で変わってはいけないし、むしろ持続と向上しかないと言う事です。本当にそれはしんどい事だと思いますよ。私自身がそうだと言う程、私は厚顔無恥ではありませんが、少なくとも、そうありたいと言う願いを日々の生活の中で試行錯誤している事は事実です。ええカッコしいと言う男道は本当に大変な事ですね。これが私の唯一の愚痴なのです。

 ええカッコしいの出来る男ってなかなか居ないじゃないですか。人はともすれば楽な道を選びますよね。「試練」だとか「忍耐」だとか「縛り」とか言うものを一番嫌うのが今の社会だと思いますが。

 「人間の価値観の究極」って「自己満足」じゃないですか。巷の宗教がいい例じゃないですか。財産と心身を全て提供して得るものは自己満足なのですよ。ですから私は、人間の欲望や価値観は如何に個人差があるにしても、結局のところ、個々の「自己満足」に帰結すると思うんです。私にしても自分で自分にムチ打って、その積み重ねの結果に周りの人間が「おう、村上お前は偉い奴だ」と評価される事によって私は私の「自己満足」を得る訳なのです。

 と言う事は、先生はいまだに満足していないのですか。

 当然です。これは死ぬまで続く自分との闘いですよ。その中で私は「自己満足」と「自己犠牲」の接点を見出したいと思っています。自分が自分以外のため、例えば「義」とか「道」とかのために自分の体とか命までを投げ出せるか、流れの中にしろ、ある種の極限状態に遭遇した時、私は果たして身を挺して男道を全う出来るか、如何なる対応が出来得るか、これが私の究極の人生の命題なのです。

 それは優しさとか思いやりに通じる事ですか。

 それはそれ以前の前提でしょう。優しさとか思いやり、又、厳しさと言うものも含めて、そう言うものがベースとして根底になければ、私の場合、私の言う自己満足も自己犠牲も理論的にも成り立たなくなります。

 なるほど、先生の「ええカッコしい」の原点は、男としての優しさや思いやりの中にある訳ですね。今回、映画「首領への道」を観ての感想ですが、やはり村上イズムを感じました。ヤクザ映画と言うと「刺した」「撃った」のバイオレンス描写が強調されるものですが、言葉の格闘とか心理描写が凄いですよね。言葉の重さ、言葉の表現の大切さ、人生そのものを示唆するような言葉がちりばめられているんですよね。

 私の作品は「首領への道」に限らず、全作品が共通して“会話劇”ですね。相手がこう言えば、こう切り返すといった、編集長御指摘の“言葉の格闘劇”とも言えますね。決して“修羅場劇”ではないんですよね。言葉の妙、会話の妙、葛藤する心理の妙、その辺りの蓄積を楽しんで貰いたいですね。

 考えさせられる映画ですよね。もっともっと6時間くらいの長編でやって欲しいですね。正月のテレビ東京の12時間ドラマみたいな物を作りましょうか。

 お茶の間には「(現代)ヤクザもの」は絶対に入り込めないでしょうが、作りたいですよね。そうそう4月後半撮入のビデオ「首領への道(23話)(24話)」には阿部編集長に出演して貰う約束ですから、今からその打ち合わせをしましょう。

 よろしくお願い致します。

◆プロフィール◆
   村上和彦(劇画家)
1944年生まれ。愛媛県出身。1970年、日本文華社・特集漫画トピックス「昭和極道史/桜会事件」でデビュー。1971年、「現代やくざ・盃返します」(主演・菅原文太)、1972年、「昭和極道史」(主演・梅宮辰夫)が東映で映画化される。1974年から「昭和極道史」を刊行(全34巻)。以後、「日本極道史」(竹書房)、「第三の極道」(竹書房)、「極道の門」(桃園書房)、「東京魔悲夜」(竹書房)を連載、映像化もなる。1997年には初監督作品「日本暴力地帯」(松竹京都映画)を製作。他に、講演、作詞・作曲、儀式・行事指導、盃事媒酌人等も手がける。単行本は100巻を超え、映像化作品も95本を超える。
■村上劇画プロホームページ http://www.murakamigekigapro.com/
 本編は本来WaWaWa Vol.13に掲載する筈であった文章です。
手違いにより誌面には校正前の文章が記載されてしまいました。
読者の皆様、村上先生、ご関係者の皆様には多大なるご迷惑をおかけいたしましたこと
ここに深くお詫び申し上げます。
戻る